のったりのたりと

V6の坂本さんを中心に、アイドルさんたちを

シンメとは

シンメとは。

この前、坂本さんと長野さんの雑誌についてを書いていたので、ずっと書いてみたいと思いながら上手くまとめられないだろうなあと諦めていた、自担と「シンメ」についてを思い切って書いてみようと思います。

まとまらないこと前提、かつ長くなりますので興味のない方はここで引き返してください。

 

ジャニ界隈とは関係ないことですが、8月の末日を持ち、某SKE48さんの松井玲奈さんがグループをご卒業されましたね。

ここの界隈においては、卒業は新しいスタートということなので、彼女の晴れやかな笑顔からも、これは慶事なのだと捉えております。

ですが、グループにとっては長年2トップだったW松井というシンメが完全崩壊することになるわけなのですよね。つか来る日ということを解っていて、ファンの方々もそれを頭の隅に置いて、覚悟の上で応援されているのだと思います。心が強いなと感心してしまいます。元々、卒業制度があるからには、変わっていくのが前提で、オタの気持ちの持ちようが違うということなのでしょうか。

しかしよそ事ながら、この先、あれだけはっきりとツートップを前面に打ち出していたグループが、次の顔をどうするのかには、興味と期待を持ちながらも、一抹の寂しさと多大なる不安を感じずにはいられません。

 

それはおそらく私がジャニオタの身からモノを見ているからでしょう。

もしも自分の担当さんにそれが起こるとしたら、相当の衝撃を受けてしまうだろう自分がいるからです。想像すると、なんだか時代が終わるくらいの衝撃を受けてしまいそうです。

昨日の続きの明日は来るけれど、それは昨日の続きではない明日なんだとか、奇妙なことを言いだす自分が軽く想像できてしまう。たぶん私はしばらくの間は病むでしょう。(怖いよ)

 

シンメの崩壊と言うと、最初に上げたSKEさんとは経緯がまったく違いますが、ジャニの中ではKATーTUNさんの場合が、私的には一番強烈な印象で残っています。6が5になったというだけではなく、グループの顔でツートップでもあったシンメの崩壊が重なっていたからです。

当時、もしも自分がここのツートップのどちらかを自担にしていたら、まさしく一つの時代が終わるくらいのレベルでショック受けていたのだろうなと思います。

その後、5が4になり、それでも止まることなく活動を続けるグループには力強さを感じていますが、付いて行くオタさんたちには、さらに上のレベルの強靭さを感じています。オタはいつだって応援するタレントさんを選べる立場ですから。

自分なら付いて行けたかと考えると、きっぱりイエスとは言えません。

もしも坂本さんの側からシンメが、長野さんがいなくなってしまったとしたら、その時、グループに立つ坂本さんがどうなるのか、想像がつかないからです。というか、想像したくない世界でしかないため、思考停止してしまいます。

しかし何故に、シンメという関係は、こうも根深くオタ心に食い込んでしまうのでしょうか。

 

そこで改めて、自担、坂本さんのシンメ事情に思いを馳せてみました。

 

シンメ。

ジャニオタ用語の一つですが、この意味あいの重みは、オタによりけり、捉え方の違いの大きい用語の一つであると思います。

しかし、ジャニオタ内で言うシンメの定義、その始まりは、ジュニア時代に先輩の後ろで踊る時、立ち位置がシンメトリーの配置で踊る2人を指して言うのが、原点ではないでしょうか。

ようはダンスの立ち位置です。このスタート時点では、シンメにさほど特別な意味付けはないと言えるでしょう。

事務所に入りたての頃のジュニアくんたちの立ち位置などというものは、基本、常に流動的です。そんな中で比較的入所時期が近く、体型とダンスのバランスが取れた人たちを適当に組ませていった結果が立ち位置なのですから、当然成長によるばらつきだとか、人気の変動だとか、選ぶ人たちの気まぐれだとか、不確定要素に翻弄されて、入れ替わりは頻繁に起こります。

そこから進んで同じ2人が対で踊る機会が増えていき、ジュニアながらにユニットが組まれたり、さらにマイクを持てるようなポジションになっても、引き離されることなく並びで踊り歌う機会が固定される2人であり続けると、シンメ感はますます強調されていきます。

この積み重ね、時間がシンメという言葉に意味を付けていくと言えるのではないでしょうか。

例外的に最初っから運命の2人と言われるような人たちもいますが(キンキちゃんたちとかですね)これはもう本当に希少例です。

 

そんな淘汰の波を越えていくデビュー前。シンメ扱いが固定されてくると、オタとしても自担だけでなくて、シンメ丸ごとで肩入れして見てしまいがちです。

もちろん自担のそばに居る人は自然に目に入るし、見ていれば情もうつるというものです。2人まとめて好きというストレートな思いもありますが、そこにはいくばくかの打算が混じることも否定できません。

なにしろ、うっかりシンメの片方が居なくなると、残される方も立ち位置が下がったり、不安定なポジションになったりという、とばっちりのようなことが現実的に起こってくるわけで、それを思うとシンメのお相手にも自担と同じく頑張って!とならざるおえない。

デビューしてないのに、どこか運命共同体的なものがつきまとうジュニア時代のシンメ。自担のシンメは重要視せざるおえません。

しかし、ここまで言っておいてなんですが、ジャニのジュニア界においては、シンメに絶対はない。今が全て。それがジュニアであることの基本です。

人気のシンメであっても、解体されるときは解体されてしまう。ある意味、強く、はかない。それがデビュー前のシンメです。

 

結局、シンメが安定して長期継続される為には、二人して近いスピードで成長を示して、同じグループで、デビューにこぎつけなくてはなりません。(その後の崩壊に関してはもう泣くしかないかと)

これはジュニアくんたちの総数から考えると、かなり低い確率を乗り越えてたどり着く境地ですから、そんな下積みの時代から追って応援しているオタさんたちにとっては、シンメがシンメのままでデビューでき、その後も2人の並びを見続けることができる世界というものは、とても感慨深く、多幸感に満ちた世界であると言えるでしょう。

うっかりシンメの深みにはまりこんだオタが、運命の2人とか口走るのも、むべなからぬかなと思います。もちろん自担以外に興味はなしという、ある意味いさぎのよいオタさんもいるので、皆がそうとは言いませんが。

逆にシンメの崩壊には、ショックを長く引きずるオタさんも少なからずであることと思います。

 

そんな背景を踏まえて、坂本さんのシンメ。相手は言わずと知れた長野さんです。

 

さて、坂長シンメ。今ではV6さんの父母とか、夫婦とか、かなりディープな呼ばれ方もする2人。

2人が固定されたのは、出戻り後のジャニーズシニアと呼ばれていた時代で、デビュー前の2年くらいの間でしょうか。

昨今のジュニアから見ると短く感じられますが、2人が始めに同じユニットに組み込まれたのは高校時代、一部界隈で有名な平家派時代です。ここからデビューまでの年数で数えると、けっこう長い。7年くらいあるでしょう。

しかし平家派時代の立ち位置ではこの2人、まだシンメではないのです。ただ同じユニットの中で年も近いので、それなりに気心をゆるした仲間だったのかなと勝手に想像しています。

そう考えておかないと、一旦は事務所から離れる2人が、やめてたあいだ、週末ごとにたわいもない出来事を長電話していたというエピソードのつじつまが合わないので。(携帯の普及前の時代にこれって、けっこう驚く)

それぞれ紆余曲折して、戻ってきた坂本さんと長野さん。

シンメとして固定された後は、先輩のバックも、マイクを持つのも2人、シニアの中心も2人、ユニットでオリジナル曲ももらってと、シンメが固定化されていくプロセスを順当に踏んでいき、そのままデビュー組としてV6さんに組み込まれていくこととなるわけです。

こうして並べていくと、坂長さんはデビュー前のシンメを継続しながらデビューに至ったという典型的な事例なのですね。これが坂長さんが現存する最古のシンメと呼ばれるゆえんでしょうか。

 

しかし、この坂長シンメがデビュー前からそれだけ強固なものだったのかと考えると、それはそれで疑問が残ります。

 

一つは、過去映像を発掘していくと、長野さんのシンメで踊っているのがイノッチくんという場面に、けっこうでくわすからです。(この場合は坂本さんがいない現場が主ですが)

実際、イノッチくんは過去を振り返って、長野くんと一緒に踊っていたのは自分だよ~と主張することがありますよね。

さらに坂本さんのデビュー前のポジションというのはいささか特殊で、ジャニーズシニアの成り立ちからして坂本さんセレクトのメンバーだという話があります。

だとすると、坂本さんが自分で自分の隣を長野さんと決めたということだってありえるかもしれないわけで、だとすると、人から決められた結果としてのシンメというものからは、少しはずれているようにも思えるのです。

さらにデビュー前後のエピソードを見ていくと、坂長シンメをそのままグループに組み込むという構想が、始めからあったかどうかも怪しいのではないかと思います。

 

ただ、デビュー前の坂長シンメのダンスシーンと言うのは、どれもこれもシンメ感が満ち溢れているので、過去映像を漁ると、やっぱりここはシンメと呼ぶべきよなと思わされてしまうのですね。(イノッチくんごめんよ~。でも何でイノッチくんだと、隣で踊っていてもシンメに見えないのだろう)

坂本さんと長野さん、この2人は素人目にも、ダンスのタイプがかなり違って見えます。それなのにシンメとしてぴたりはまって見えるというのが興味深くて、デビュー前の映像は特に、坂本さんだけに注目するよりも、2人を一緒に見てしまうことが多いです。

V6さんの中ではジャズダンスをベースにしているという基本の部分が共通しているので、同一タイプに見えなくもない2人なのですが、この2人だけを並べて見ていると、しなやかな身のこなしや、なめらかな重心の移動、柔軟性が前面に出る坂本さんに対して、長野さんはバネの強さ、特に下半身の力強さ、柔らかい動きの中にも形をしっかり止めきるという強さに目が行きます。

音を取るタイミング、スタンスの取り方、空間の掴み方などが揃っているために、ぴったり合っているという感覚を抱かせるのに、やはり似ていないと感じるという矛盾が成り立っている坂長シンメさん。

これがレッスンの賜物なのか、天性のものなのかは未だ測りかねますが、まあ合わせようという気持ちがなければあんな風には踊れないだろうと思う半面、やはり元からの相性もあるのだろうなと思います。互いの感覚が掴みやすいのでしょうかね。先輩のバックで2人そろって振付を忘れても、即興で合わせて踊れたという昔話もよくしてますしね。

過去の2人のダンスシーンは、今見ても何ともいえない魅力があります。若い分だけ未熟なところもあるのですが、それでもぞくぞくするくらい好きなシーンがあります。

基本、踊るジャニが好きな私は、未だに一度過去映像の旅にたつとなかなか帰ってこれずに苦労します。昔は良かったねと言うタイプではないのですが、デビュー前の坂長シンメさんのダンスは、私にとっては特別なもののようです。

逆に言うと、デビュー後からオタになった私には、この当時の2人からは、ダンスでしかシンメ感を感じるすべがないということかもしれません。

 

とにもかくにも坂長さんはシンメごと、V6さんとしてデビューにこぎつけました。でもそれは、対で歌い踊るシンメを見続けられるということとは、少し違っていたようです。

 

私がオタになった後、V6さんとしてデビューしてから知った坂長さんについては、まずはダンス以外の部分から、シンメを意識するようになりました。

V6さんのシンメは、坂長さんと、剛健ちゃんの2組です。

しかしオタになりたての当時の自分が、なにをもってしてこの2組をシンメと認識するようになったのかというと、すごく漠然としていて、よくよく考えてみても2人の空気感がシンメじゃない?と、おまぬけなことしか言えない残念さなのです。

オタになって割と早い段階で、V6さんは{(1+1)+1}+{(1+1)+1}=6人で構成されていると認識していたはすですが、そう考えるに至った、確固たる理由が思い当たりません。

おそらくは、バラエティ番組でのロケに行ったときの画面から伝わる雰囲気だとか、雑誌の写真やインタビューでのちょっとしたやりとりから、この2人をシンメと捉えるようになったのだと思います。

特に2人組んでロケに出ている時に、なにげなく隣に座る距離感だとか(この2人はくっつきすぎることはないのですが、離れて動くこともない)、動くタイミングが合っていたり、御茶を飲む動きがシンクロしていたりとか、ささいなところで一体感が伝わってくるのです。

もう1組のシンメ、剛健ちゃんの方は異常に距離感が近くて、解りやすく2個1感満載で、これが剛健シンメなのだなと認識したのですが、坂長さんはあくまでさりげなく、近すぎず遠すぎず、それでいて他のメンバーとは距離感が違って見える。

私が自担としているのは坂本さんですから、大抵の番組で坂本さんを中心に見るわけなのですが、隣に長野さんがいる時というのが、坂本さんの表情に一番無理がないというか、自然に見えて、じわじわとこれがシンメなのかと認識するに至ったのだと思います。

 

解りやすいところでは、ネタ的に、家族ネタだと必ず夫婦設定ですし、2人でカップル見本を演じたり、ディナーショウで夫婦役をやったり、トニコンでは一緒に住むならと同棲トークしてみたり、解りやすく夫婦ネタを入れています。

ネタからシンメを感じるかというと、それはあんまり~なのですが、ネタ化したくなるほどに、メンバーの目からも2人の空気が他とは違っているのかと思うと、坂長さんを一まとめで見ることに、ただのオタが疑問を挟む余地などないとも言えます。

 

そうして自然に坂長さんと剛健ちゃんをシンメと見るようになり、なんら疑問も持たずに、今現在でもここの2組をシンメと感じてオタを続けています。しかし、これって改めて考えると不思議。

シンメの定義は、いつのまにかダンス以外のものになっているのです。

 

V6さんとしてデビューした後、坂本さんと長野さんはシングルの表題曲で、並んで歌うことがほぼありません。さらに言うとアルバムもカップリングもこの2人組というのを強調している曲はないと思います。

剛健ちゃんの方はラップの掛け合いパートを任されることが多いので、そこはまだ並ぶ余地があるのですが、坂長さんにはそれもない。

そもそもフォーメーションを変えながら踊るV6さんは、まるっと一曲2人並びを強調する曲などは、坂長さんにも剛健ちゃんにもないわけです。

グループがそういうスタイルなわけですから、V6さんにおいては、2組のシンメは、隣で踊る人とも歌う人とも、定義ができません。

歌わりだけで見ていくと、V6さんになった後の坂本さんのシンメは、イノッチくんとするほうが妥当なのではと思うくらいですが、やはりそこはコンビであってシンメではないと思ってしまう。  

V6さんの楽曲は、シンメを打ち出してはいない。むしろ楽曲の中では、あえてシンメの固定を避けている印象があります。これもなかなか興味深いことです。

オタ心を掴むということを第一と考えるのなら、初期には剛健ちゃんをツートップとして前面に押し出して売るという方法も考えられただろうと思うのですが、V6さんはそういう選択をしていないですよね。

シンメ売りの強力さは解っていたはずだと思うのですが、あえてそこをはずしている。

憶測で言うのなら、シンメを前面に打ち出したときの解りやすさオタの付きやすさというメリットより、グループの顔を固定してしまうことで起きるディメリットを考えたのかもしれません。

 

考えていくと、ダンスの立ち位置からスタートしたはずのシンメは、その立ち位置を容易には見られなくなってから、精神的な立ち位置へと、意味合いを深めていったとも言えるのではないでしょうか。

 

20周年関連で、V6さんのインタビュー記事が色々なところに載っています。

坂長さんが互いについて語った言葉もいっぱいありましたが、個人的に一番ささったのは、長野さんが坂本さんについて、“いてくれる”ってことが重要な人。と語っていたことです。

そうか。ダンスとか歌とかトークとかすっとばして(というかそれ以前に?)、いてくれるのが大事なのか。

深すぎて、なんも言えないってなりました。

シンメってそういう心境に行きつくものなのでしょうかね。

いてくれればいいなどという言葉は、私の感覚からすると、他人に向けることは生涯ない気がする言葉なのですが(というか家族にでも言えない)、それが言えてしまう他人の関係、本当に特殊世界です。

 

おそらく、坂本さんは「ここからいなくなる」タイプの人ではないと思うので、坂長シンメさんはこのままの距離感で、続いて行くことでしょう。

そう思えるからこそ、もしもシンメが崩壊するときには、オタとしては、時代が終わるくらいの衝撃に付き落とされることこそが、正しいありようなのでしょうね。

 

そして現在。

シンメで踊るシーンがとってもレアな坂長さんですが、簡単に見ることができなくなったからこそ、坂長さんが並んで踊る場面は、たとえワンフレーズであってもくいいるように見ています。

シンメの原点はダンスだと思ってしまうジャニオタとしては、数年に一度くらいはオタサービスとして、シンメで踊ってくれることを切に願ってやみません。

 

結論、シンメとは、並んでいて欲しい2人。(精神的にも物理的にも)

 

嗚呼、やっぱりまとまらない~っ!

ようは末長く、シンメはシンメでいておくれ、ということです。

ここまでお付き合いくださった方に感謝、そして深くお詫びを申し上げたいと思います。